伊勢原の街の北側にそびえる大山に、2200年以上の歴史を持つ大山阿夫利神社があります。阿夫利(あふり)の語源は「あめふり」と言われるほど大山は水が豊富で、伊勢原の街を潤す水源となっていました。
大山に降る雨と湧き出す水は伊勢原に注ぎ込むいくつもの川となり、弥生時代から稲作が盛んでした。また川の栄養が海に注ぎ込む相模湾はよい漁場でもありました。人々は大山にかかる雲の様子を見て翌日の天候を予測し、海上では大山を見て自分の船の位置を測りました。大山は暮らしに欠かせない存在として、古くから感謝の気持ちを捧げる信仰の対象だったのです。
関東平野の端にそびえる大山は、どこからでも見ることができ、西は愛知、北は新潟、福島まで、広く信仰を集めました。東西南北から八つの街道が通る伊勢原は江戸時代以降、大山に詣でる人々で賑わい、宿ができ、商人が集まり、街が発展しました。そして昭和の初めに小田急線が通り、伊勢原駅が生まれ、伊勢原の街は栄えていきました。
明治時代から数えて8代目の宮司、目黒さんは言います。「自然に対する感謝を捧げるところから自分の生きる道を見つけなさい。というのが神道の考えです」と。宮司さんの言葉どおり、今日も伊勢原で暮らし、営む大勢の人々が山腹の大山阿夫利神社を目指し、感謝を捧げにやってきます。
大山阿夫利神社
宮司
目黒 仁
江戸時代以前、大山は修験僧たちが修行をする場であり、山伏も、神主も、僧侶も存在する、独自の信仰をもつ密教として存在していました。奈良時代に大山寺が開かれた時に真言宗だったため、僧兵を警戒した徳川家康の命により、真言宗の寺院となりました。
真言宗が本尊として祀るのは不動明王。穏やかな菩薩の装いをした大日如来の「怒り」の部分だけを表現した化身が、炎を背景に怒りの表情をした不動明王の姿です。真言宗で供養の際に護摩を焚くのは、炎の中に住む不動明王が火を好むから。米や麦などの実りを火の中に捧げ、天界のお不動様に届ける代わりに、私たちを助けてくださいというお願いをしているのです。
「誰でもどんな人でも救うのが不動明王のいちばんの特長です。」江戸時代から数えて36代目の住職、篠宮さんは言います。願い事で多いのは、病気の平癒、家内安全、そして商売繁盛。中でも大山寺は江戸時代、家業を守る、職業を継ぐことにご利益がありました。毎年2月28日の不動明王の縁日には、古来、天皇家などの大事にのみ行われてきた5つの護摩を焚く「五壇護摩」が執り行われ、人々の無病息災を祈願します。
寺院の所有する車を点検・修理していた縁から、毎月28日の不動明王の月縁日に、代表の秋山をはじめとする幹部4名で、護摩を焚いて祈祷を行います。何を願うわけでもなく、ただ日々のことに感謝する。伊勢原への気持ちをこれからも支えてくれる大山寺は、A’Sホールディングスになくてはならない存在です。
大山寺
住職
篠宮 聖尚